国王

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    国王

    国王
    国王(こくおう、英語:king, ドイツ語:Konig, フランス語:roi, ノルド語:konng, ラテン語:rex)は、君主の称号(君主号)の一種である。
    皇帝のような特別に高い地位を有さない、標準的な君主号の訳語として用いられる。
    特に男性である場合(男王)を指す。
     
    西洋の王
    ヨーロッパの君主には皇帝、国王、プリンスの3つの概念がある。
    元々は各地域ごとに君主の名称があった訳だが、ローマ帝国以降のヨーロッパの秩序においては、皇帝や教皇から王として承認を受けた存在のみが王であり、そのような承認を受けない小君主が総称的にプリンスと呼ばれた。
    皇帝が共和制ローマの職名を起源としているのに対し、英語のkingのようなゲルマン系の王の名称は血統を意味するkinから派生しているため、より血統が重視された。
    皇帝は実力のある者が推戴されることが基本であり、このためローマ帝国、東ローマ帝国ではしばしば実力者が武力闘争やクーデターによって皇帝となり、神聖ローマ帝国では選挙制が維持された。
    コルシカ島生まれの軍人に過ぎないナポレオン・ボナパルトは皇帝の方が成り易かったと言えるかも知れない。
    ゲルマン系の王は元々は戦争時に臨時に選ばれるもので、これがゲルマン、スラブ系の選挙王制につながっているが、この場合でも王の血統を引く事が選出の条件となった。
    またケルト系のタニストリー制でも王の血統を持つ者から選ばれる。
    近代に入って新たに独立した国々が王制を採用した場合、多くの国では最初から王が存在しないか、既に王家の血統が絶えていることが多かったが、その場合でも自国の貴族から選ぶよりドイツ系の君主の一族を招いて王とすることがしばしばあったのも、王となるのは王の血統を引いた者といった概念があったからである。
    ヨーロッパではほとんどの場合、王朝交代があっても傍系か女系の血統を引いている。
    王位継承法により女性の王位継承を認める場合とそうでない場合がある。
    フランスやドイツなどサリカ法地域では女性の王位継承を認めない例が多い。
    近代では女性の王位を認める国が増えている。
    女性の場合女王(じょおう)という。


    東洋の王

    東洋の王
    「王」という言葉は古代中国語に発する。
    殷王朝の君主は自らは「帝」と称していたようではあるが、それに続く周の君主は「王」を称していた。
    当時、王は天子の称号であり、春秋時代に周の統治能力が衰え、群雄割拠の時代になっても封建制の下、各君主は周王を尊重して王を名乗るものはいなかった。
    楚のように周を指し置いて「王」を名乗るのは文明外の蛮族を称するようなものと見なされた。
    しかし、戦国時代には封建制が崩壊し、各国の君主が「王」を名乗ると「王」の価値が暴落した。
    そのため戦国時代を統一した秦王の政は自らを「皇帝」と名乗ることになった(始皇帝)。
    それに続く漢も皇帝を君主号として使用し、三国時代や東晋十六国時代、五代十国時代など皇帝が乱立する時代はあったものの、最後の王朝清まで至上の君主号であり続けた。
    一方で「王」は皇帝に次ぐものとされ、皇帝の一族が各国に封じられ、ときに与えられる称号となった。
    また、皇帝の支配の及ばぬ外国の君主を「王」にする、擬制することで、「世界を支配しているという事実」を作ろうとした。
    冊封体制である。
    そのため、中華文化圏では「王」は中国皇帝から賜る称号であり、中国皇帝に臣従した証しとなった。
    日本では早くから冊封体制を脱し、君主には天皇の称号を「国王」に相当する称号として使用してきた。
    一方、実質的な支配者である征夷大将軍は、中国や朝鮮との外交上「日本国大君」の称号を用いた。
    君主が国内向けには「国王」と自称していない場合も、中国の皇帝との関係上、対外的に称する外交称号として用いられた事例がある(日本の将軍、ベトナムの太上皇など)。
    琉球以外の日本では制度上国王という位が設けられたことはないが、天皇を指して国王、王と呼ぶ例は軍記物語などの文献に広く見られる。
    これは、「国王」ないし「王」が、元来は一般に君主を意味することによるものである。


    現在の「王」
    現在の「王」
    近代では立憲君主制を採用する国が多く、そのような国では国王の役割は儀礼的なものとなってきているが、外交や公式・非公式な場での発言などによる政治的な影響力は大きい。
     
    世界の国王
    アジア
    アブドゥッラー2世 … ヨルダン・ハシミテ王国国王
    アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ … サウジアラビア王国国王
    カーブース・ビン=サイード … オマーン国国王
    シェイク・ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ … バーレーン王国国王
    ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク … ブータン王国国王
    ノロドム・シハモニ … カンボジア王国国王
    ハサナル・ボルキア … ブルネイ・ダルサラーム国国王
    ミザン・ザイナル・アビディン … マレーシア国王
    ラーマ9世(プミポン) … タイ王国国王
    ヨーロッパ
    アルベール2世 … ベルギー王国国王
    エリザベス2世 … グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)女王
    カール16世グスタフ … スウェーデン王国国王
    ハーラル5世 … ノルウェー王国国王
    フアン・カルロス1世 … スペイン国王
    ベアトリクス … オランダ王国女王
    マルグレーテ2世 … デンマーク王国女王
    アフリカ
    ムスワティ3世 … スワジランド王国国王
    ムハンマド6世 …モロッコ王国国王
    レツィエ3世 … レソト王国国王
    オセアニア
    ジョージ・ツポウ5世 … トンガ王国国王
       

    アブドゥッラー2世
    アブドゥッラー2世
    アブドゥッラー・アッ=サーニー・ビン・アル=フセイン(アラビア語: ??????? ?????? ?? ??????)は現ヨルダン国王。
    イスラム教開祖ムハンマドの血筋を引くハーシム家の出身。
    1962年1月30日、国王フセイン1世と2番目の妻・モナ王妃との間に長男として生まれる。
    生後間もなく皇太子に指名されるが、1965年に叔父のハッサンに王位継承権が移る。
    1966年、4歳のときにイギリスに留学し教育を受け、1981年にサンドハースト英陸軍士官学校卒業。
    1983年にはオックスフォード大学で国際政治学を聴講。
    1987年 - 1988年にはアメリカのジョージタウン大学大学院修士課程(国際関係論)。
    1993年6月10日に半年間の交際を経てクウェート出身で両親がパレスチナ人のラーニアと結婚。
    2男2女をもうけている。
    1999年1月、フセイン国王によりハッサン皇太弟に代わって再び皇太子に叙任。
    まもなく父の崩御に伴いヨルダン国王に即位(1999年2月7日)した。
    ヨルダン陸軍に所属し、現在は最高司令官の地位にある。
    父親と同じく異母弟のハムザを皇太弟としていたが2004年に廃し、実子はまだ幼いため皇太子は空位となっている。
    ヨルダンの50ディナール紙幣に描かれている。
     
    人物像
    国王として積極的に外交に携わり、国家の安定に貢献している。
    また、一般人(タクシー運転手、新聞記者、老人など)に変装して、国民の生の声を聞かんと努力している(ちなみに変装は詰めの甘さで2回ばれている)。
    変装して訪れた病院の応対について後日注意したこともある。
    この為、豊かといえない国家の王であるが国民からの敬愛心は強い。
    とにかく自分でやってみないと気がすまない性分。
    特に乗り物に対するそれは過剰とも言える。
    国王自らハンドルを握り外国要人を空港まで迎えに行くのは日常茶飯事である。
    2006年7月に、日本の小泉首相がヨルダンを訪れた際にも、国王自らが運転する車で宿泊先のホテルまで送られる場面が報道されている。
    王室政府公用機(ロイヤル・ヨルダン航空所属のA310)を自ら操縦して外交先に出向くことも度々である。
    カイロ国際空港のロケーションを気に入っているかどうかは定かではないが、エジプトへの外遊ではいつも操縦輪を持つ。
    大のトレッキーである。
    王子時代には『スタートレック:ヴォイジャー』(第36話「パリスの裏切り」)に約6秒間出演している。
    趣味はスカイダイビング、スキューバダイビング、ラリーなど。
    また、映画業界への興味が高じて紅海沿いの都市、アカバに南カリフォルニア大学映画芸術学部の協力を得てThe Red Sea Institute of Cinematic Artsを設立した。
    英語・アラビア語を話す。

    出会い系
    カーブース・ビン=サイード
    カーブース・ビン=サイード・アル・ブーサイード(????? ?? ???? (Q?b?s bin Sa'?d Al ‘Bu Sa’id), 1940年11月18日 - )は、オマーンの国王(スルタン)。
    首相、国防相、外相、財務相を兼任し、専制君主としてオマーンに君臨している。
    18世紀から続くブーサイード朝の第14代君主にあたる。
    代々のスルタンを出してきた南部の港町サラーラの出身。
    イギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業し、イギリス軍で軍歴を持った後1964年に帰国。
    父である当時の国王サイード・ビン=タイムールの保守的な政治制度に反対し、1970年7月にイギリスの支援を受けて宮廷内クーデターを起こして父国王を追放、自身が国王に即位した。
    鎖国政策を放棄して1971年にはオマーンを国連に加盟させる一方、イバード派のイデオロギーに基づくイスラム的伝統を堅持しつつ、国王の主導による近代化政策を強固に押し進めている。
    親米派として知られる。
    父王の弟ターレク王子の娘ナワール王女と結婚したが間もなく離婚し、以後現在まで独身。
    子供はおらず、後継者も指名していない。
    趣味は乗馬。
    出会いのことならここに聞け
    出会い系@比較サイトなら安心ですね。


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