アジアの国王2

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    ブータン国王
    ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク(Jigme Khesar Namgyal Wangchuck, 1980年2月21日 - )は、ブータンの第5代国王。
    2008年現在、世界最年少の国家元首である。
     
      略歴
    第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクと第3王妃(4人の妃は実の姉妹)との間の長男として誕生。
    実の弟妹がそれぞれひとりずつ、異母弟が3人、異母妹が4人。
    ブータンで基本的な教育を受けた後、アメリカ・マサチューセッツのフィリップス・アカデミー、クッシング・アカデミー、ウィートン・カレッジに学び、イギリス・オックスフォード大学のモードリン・カレッジにも留学しており、同大より政治学修士号を取得している。
    インドへの留学経験も持つ。
    2005年には国王が2008年での譲位の意向を示しており、実際には2006年12月14日に国王は退位し、即日新国王として即位、2008年11月6日に戴冠式が行われた。
     
    海外での評価
    ブータンの王子として、2006年6月12日から13日にかけてタイのバンコクを訪問。
    プミポン国王の在位60周年式典に25ヶ国の王族と共に出席。
    独身であり、端正な容姿と気さくな振舞いでタイ女性の間で大人気となり、彼が去った後もタイの新聞社は、数週間に渡って「理想の男性」と呼び、彼に関する毎日の話題と写真とブータンの観光に関する記事を掲載した。
    また、タイでは彼の写真集も発売されている。
    Assumption大学のABAC世論調査センターが募った投票では、訪問した王族の中では彼が最も有名であるという結果が出た。
    しかしながら、一部の向きからこのような投票はタイ国王に関する荘厳な儀式を軽んじるものだと考えられた事から、ABACセンターのディレクター(Nophadol Kanika)は、結果の公表から数時間後にこれを取り消した。
    タイのインターネットフォーラムPantip.comへの訪問者は、王子についての投稿でウェブサイトを溢れさせた。
    未知の女性と彼の写真が投稿され、タイの日刊紙は後で写真を特集したが、タイの捜査機関はその写真がプライバシーの侵害であると判断し、何者であろうとも将来それを配付した場合は起訴するとしている。
    2006年11月、チェンマイで行われた国際園芸博訪問のため、タイを再訪。
    その際にランシット大学から名誉学位を受けている。


    カンボジア国王

    カンボジア国王
    ソムダッチュプリヤバロムニアット・ノロドム・シハモニ(Norodom Sihamoni, 1953年5月14日 - )は2004年10月29日に即位したカンボジアの国王。
     
    経歴
    ノロドム・シハモニは1953年5月14日にプノンペンにてノロドム・シハヌーク国王と6番目の妃であるノロドム・モニニヤット・シハヌークの間に生まれた。
    名前は両親の名前からとられたものである。
    誕生した5月14日はちょうど父のシハヌークが外遊先の日本(日本にとっては終戦後初のアジアの王の皇居への来訪)から帰国した日であったため、「トキオ」(トウキョウ)という愛称が付けられた。
    シハヌークの息子たちの中では最も父親の愛情を受けて育ったといわれる。
    1960年代から1970年代にかけてプラハでクラシック・ダンスを学んだのち、北朝鮮に渡り映画撮影技術を学んだ。
    ポル・ポト政権時代にはクメール・ルージュの打った父親名の偽電報によってカンボジアに帰国させられ、両親とともにプノンペンの王宮に幽閉された。
    1978年、ポル・ポト政権崩壊直前に両親とともに脱出に成功、1981年にはフランスに渡り、バレエを教えた。
    その後カンボジアの内政不安定により、フランスに20年間留まることになる。
    1993年からはパリでユネスコの大使を務めた。
    なお、シハモニは独身であり子供は居ない。
    2004年10月7日にシハヌークが退位を表明。
    14日、新たに制定された王室関連法によりフン・セン首相、ノロドム・ラナリット下院議長、チア・シム上院議長、上院副議長、下院副議長、高僧2人の9人のメンバーからなるからなる王室評議会でノロドム・シハモニが指名され、そのメンバーであるフン・センおよびラナリットが国会でその旨を演説表明した。
    ノロドム・シハモニはこの時、シハヌークの退位を思いとどまらせるために、シハヌークの滞在先の北京にいたが、同年10月20日には即位に臨むためシハヌークと共に北京から帰国した。
    29日には8万人ともいわれる市民が集まり、その即位式が行われた。


    ブルネイ・ダルサラーム国王
    ブルネイ・ダルサラーム国王
    ハジ・ハサナル・ボルキア・ムイザディン・ワッダラー(Haji Hassanal Bolkiah Mu'izzaddin Waddaulah, 1946年7月15日 - )はブルネイ・ダルサラーム国の現国王(スルタン)で、第29代に当たる。
    日本では「ハサナル・ボルキア国王」の呼称が主に用いられる。
    首相・国防相・蔵相を兼任し、ブルネイの国体下において、事実上の絶対君主と言える強大な権限を有している。
    また、世界各国の君主の中でも有数の資産家としても知られている。
     
    略歴
    1946年 7月15日、当時のイギリス自治領ブルネイで国王オマール・アリ・サイフディン3世の長男として誕生。
    1961年 皇太子となる。
    1964年 オマール・アリ・サイフディン・カレッジ入学。
    1965年 サレハ王妃と成婚。
    1966年 イギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校へ留学。
    翌年までをイギリスで過ごす。
    1967年 父王の退位に伴い帰国。
    10月5日、第29代スルタンに即位。
    1968年 8月1日、戴冠式が挙行され正式に国王となる。
    1970年 大阪万博視察のため初訪日。
    以後数回の訪日履歴がある。
    1974年 2月17日、サレハ王妃との間に後の皇太子アルムタデー・ビラ誕生。
    1981年 マリアム第2王妃と成婚(のち2003年に離婚)。
    1984年 ブルネイ独立。
    同時に首相・蔵相・内相を兼任する。
    1986年 首相・国防相を兼任。
    1997年 現在の首相・国防相・蔵相兼任の肩書に。
    2005年 アズリナ・マズハル第2王妃と成婚。
       

    政策
    政策
    ブルネイの政治も参照のこと
    ブルネイの政体は形式上立憲君主制を採ってはいるが、立法においては法律の最終制定権を国王に置き、司法においても裁判官の任命権を国王が有するなど、事実上は絶対君主制と言ってよい。
    ハサナルは独立以来この国王の地位にあり、前述の通り首相・国防相・蔵相をも兼任し絶大な権限を振るっている。
    石油・天然ガスの豊富な産出に基づく安定した経済力を背景に、インフラの整備、高福祉政策を実現し、更に公務員の大量雇用によって国民の経済水準を引き上げてきた。
    また公務以外においても、毎年ラマダーン明けの大祭の際には王宮を開放し、国内外からの数万人に及ぶ参列者一人一人と握手を交わすなど、国民との融和に努めている。
    また、訪問者には、手土産に菓子類を渡し、子どもにはお小遣いを渡すという。
    高い生活水準を享受する国民からの信頼は全般に篤く、毎年7月15日の国王の誕生日には市中に装飾がなされ、国を挙げた祝賀会が催される。
    また現在のところ、国民の参政権は皆無でありながら大規模な民主化運動や反体制運動も発生していない。
    ただし近年は将来の資源枯渇に備えた経済の多角化の必要性もあり、徐々に国政を変化させつつある。
    ハサナルは2004年、独立以来停止していた立法評議会(国会)を再開すると共に、憲法改正によって従来の任命議員に公選議員を加えるものとした(2008年現在選挙が実施されるには至っていない)[7]。
    また2005年には大規模な内閣改造で閣僚の刷新を行い、エネルギー大臣職を新設した。

    人妻
    資産
    ハサナルは、その莫大な個人資産と豪奢な生活振りでも知られる。
    2008年の米経済誌フォーブスでは、個人資産は200億ドルと見積もられており、これは国家元首としては世界第4位である。
    王宮の部屋数は1788を数え、趣味のポロに用いる馬が多数飼育されている。
    また、自身の50歳の誕生日に合わせて東南アジア最大級の遊園地を個人資産から建設して国民に開放し、マイケル・ジャクソンのライブを無料開催するなど、豪遊の話題が非常に多い人物である。
    特に彼が熱を上げているのが乗用車の蒐集である。
    コレクションの総数は5000台に上ると言われ、英デイリー・ミラー紙が2007年に伝えたところによれば、コレクションには以下の車が含まれる。
    メルセデス・ベンツ 531台
    フェラーリ 367台
    ベントレー 362台
    BMW 185台
    ジャガー 177台
    ポルシェ 160台
    ロールス・ロイス 130台
    ランボルギーニ 20台
    これらのコレクションの中には、世界で1台しか存在しないAMGメルセデス・CLK-GTRの右ハンドル車や、28台のみ生産されたランボルギーニ・ディアブロ・イオタなど大変希少なモデルや、ピニンファリーナが製作したフェラーリF456のステーションワゴン等、彼の発注による独自モデルも多数存在する 。
    これらのカーコレクションは専用に建設された巨大な立体駐車場に収められているという。
    また、ボーイング747を始めとする旅客機、ヘリコプターも多数所有している。
    陸軍士官学校時代の経験を生かし、自ら操縦を行う場合もある。
    人妻の影響力の強さが際立っていることがある。


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